『白い巨塔』に登場する謎めいた夫人たちの集まり、くれない会について詳しく知りたいと思っていませんか。そもそも、くれない会とは何か、そして浪速大学医学部の医局内におけるくれない会の役割はどのようなものなのでしょうか。
この会は、一見すると華やかで上品な社交の場ですが、その実態は、くれない会が示す医局政治の縮図そのものです。この記事では、くれない会メンバーの特徴や、主人公である財前五郎とくれない会の関係性を深く掘り下げていきます。
また、教授選をめぐる熾烈な東教授陣営との対立構造の中で、この会がどのように暗躍したのか、そしてくれない会が物語に与える影響についても詳しく解説します。
さらに、当時の男性中心社会における女医たちの立場とくれない会の存在意義や、くれない会が象徴する組織内ヒエラルキーの実態にも光を当てます。加えて、特に人気の高い2003年版と他の版におけるくれない会の描写比較を通じて、その描かれ方の違いも明らかにしていきます。
きっと読み終える頃には、『白い巨塔』の物語をより深く理解するための鍵となる、この夫人たちの世界の全てが分かるはずです。
★この記事のポイント
『白い巨塔』のくれない会、その組織と役割

- そもそも「くれない会」とは何か?
- 医局内におけるくれない会の役割
- 教授夫人たち、くれない会メンバーの特徴
- くれない会が象徴する組織内ヒエラルキー
- くれない会が示す医局政治の縮図とは
そもそも「くれない会」とは何か?
『白い巨塔』に登場する「くれない会」とは、物語の舞台である国立浪速大学医学部の教授夫人たちによって組織された、架空の社交団体です。いわゆる「教授婦人会」であり、表向きは会員同士の親睦を深めたり、チャリティ活動を行ったりする上品な集まりとして描かれています。
しかし、その内実は、夫である教授たちの大学病院内での地位やキャリアを裏から支えるための、非常に政治的な意味合いを持つ組織です。会のメンバーシップは夫の地位と密接に連動しており、夫が教授職に就くことで妻は入会資格を得て、退官すれば会を去るのが通例となっています。
この「くれない会」という名称の由来について、作中で明確な説明はありません。ただ、「紅(くれない)」という言葉が持つ華やかな響きは、会の表向きの雰囲気を象徴していると考えられます。言うまでもなく、この会は物語をドラマチックに演出するためのフィクションの設定であり、現実世界に存在する特定の団体とは一切関係ありません。したがって、この会は、男性医師たちが繰り広げる権力闘争の舞台裏で、女性たちが形成する「もう一つの権力闘争の場」を象徴的に描き出すための、巧みな舞台装置であると言えます。
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医局内におけるくれない会の役割
くれない会の最も重要な役割は、大学病院という閉鎖された社会における「非公式な政治活動の拠点」として機能することです。表向きの親睦活動は、その実態をカモフラージュするための隠れ蓑に過ぎません。
その具体的な活動の一つが、高度な情報交換です。会員である夫人たちは、夫から聞いた話や大学内の噂などを持ち寄り、人事の動向や対立派閥の内部情報といった、公式ルートでは決して流れない情報を共有します。特に物語の大きな山場である教授選挙の際には、この情報網がフル活用され、対立候補の失脚を狙うための裏工作にまで発展することもありました。
また、単なる情報交換に留まらず、派閥の結束を固める役割も担っています。夫たちの派閥は、そのまま夫人たちの派閥に連動します。会での立ち振る舞いや人間関係が、夫の出世に影響を与えると信じられており、夫人たちは互いに牽制し合いながら、自らの夫が属する派閥の優位性を保とうとします。例えば、贈答品を通じて相手の懐具合や他派閥との関係を探るなど、静かながらも熾烈な心理戦が繰り広げられるのです。このように、くれない会は、夫たちのキャリアを左右する医局政治を水面下で支え、動かすための、極めて重要な役割を果たしています。
教授夫人たち、くれない会メンバーの特徴
くれない会のメンバーは、それぞれが夫の大学病院内での地位を背負っており、そのキャラクターは非常に個性的です。会の力学を理解する上で、主要な三人の夫人たちの特徴は欠かせません。
まず、会の頂点に君臨するのが、医学部長夫人である鵜飼典江です。彼女は会の会長(作品によっては幹事)として、絶対的な権力を持っています。彼女の機嫌を損ねることは、夫のキャリアにとって命取りになりかねないため、他の夫人たちは誰も彼女に逆らうことができません。教授選においても、彼女の意向は大きな影響力を持ちます。
次に、物語前半で大きな存在感を示すのが、第一外科教授夫人・東政子です。次期医学部長の有力候補の妻として、会の中でも重きをなしていました。しかし、夫が退官を控え、財前五郎との対立が深まるにつれて、その影響力は徐々に失われていきます。プライドが高く、権威主義的な彼女の態度は、夫の権威の失墜と共に滑稽なものとして描かれることもあります。
そして、主人公・財前五郎の妻である財前杏子です。当初は新参者として冷遇されますが、彼女は持ち前の気の強さとしたたかさで、この特殊な世界を生き抜こうとします。夫の出世のため、そして自らの地位を確立するため、積極的に会の力学に関わっていく姿は、この組織が個人の価値観をいかに変えてしまうかを示しています。これら三人の関係性を通して、くれない会の複雑な人間模様が巧みに描かれています。
くれない会が象徴する組織内ヒエラルキー
くれない会は、浪速大学医学部という組織が持つ、封建的とも言える厳格な階層構造(ヒエラルキー)を、鏡のように映し出しています。この会の中では、個人の人格や能力ではなく、ただひたすらに「夫の役職」がその人の序列を決定します。
会のトップは医学部長夫人、その下に各科の教授夫人が続き、准教授や講師の夫人はさらにその下に位置づけられます。この序列は絶対的なものであり、下位の者は上位の者に逆らうことが許されません。会話の席順、お茶を出す順番、挨拶の仕方一つとっても、この見えない階層が厳然と存在しています。
このヒエラルキーが最も残酷な形で現れるのが、夫の地位が変動した時です。前述の通り、東教授の力が弱まると、あれほど権勢を誇った妻の政子は会の中で孤立し、その地位を失います。逆に、財前五郎が教授の座に就くと、妻の杏子は一気に見る目が変わったかのように周囲から持ち上げられます。このような描写は、くれない会における地位が、いかに個人の実力とは無関係で、夫の権力という砂上の楼閣の上に成り立っているかを象徴しています。つまり、くれない会は、大学病院という男性社会の権力構造が、そっくりそのまま女性たちの世界に持ち込まれた、歪んだヒエラルキー社会の象徴なのです。
くれない会が示す医局政治の縮図とは
くれない会は、単なる夫人たちの集まりではなく、「医局政治の縮図」そのものです。医局政治とは、大学病院の医局内で行われる、教授のポストや人事をめぐる権力闘争のことを指しますが、くれない会はその水面下で繰り広げられる「影の政治」を担っています。
公式な教授会や会議の場では、建前や形式が重んじられます。しかし、本当に物事を動かすのは、しばしば非公式な場での根回しや情報戦です。くれない会は、まさにそのための舞台として機能します。教授選でどの候補者を推すか、誰を次の要職に就けるかといった重要な決定事項について、夫人たちは夫の意向を受け、あるいは自らの判断で、情報操作や多数派工作を行います。
例えば、対立候補に関するネガティブな噂をそれとなく流したり、有力者の夫人に取り入って自陣営に引き込もうとしたりする活動は、日常的に行われます。これらの活動は、表立って行われる男性医師たちの政治活動と連携し、時にそれを補い、時にそれを先導することさえあります。このように、男性たちの権力闘争が「表の政治」であるならば、くれない会で繰り広げられる静かで陰湿な駆け引きは、紛れもなく「裏の政治」であり、両者は一体となって医局全体の力学を形成しているのです。この構図こそが、くれない会が医局政治の縮図と呼ばれる所以です。
『白い巨塔』のくれない会が物語に与えた影響と作品比較

- 主人公・財前五郎とくれない会の関係
- 教授選を巡る東教授陣営との対立構造
- くれない会が物語に与える具体的な影響
- 女医たちの立場とくれない会の存在意義
- 2003年版と他版でのくれない会の描写比較
- 総括:『白い巨塔』におけるくれない会の重要性
主人公・財前五郎とくれない会の関係
野心家である主人公・財前五郎とくれない会の関係は、一言で言えば「自身の野望を達成するための道具」として利用する関係であったと考えられます。財前自身は男性中心の医局で直接的な権力闘争を繰り広げますが、その一方で、妻の杏子をくれない会に送り込むことで、夫人たちの世界からも情報を収集し、影響力を行使しようと図ります。
財前は、くれない会の頂点に立つ鵜飼医学部長夫人の歓心を買うために高価な贈答品を贈るなど、この女性たちの社会の力学を計算高く利用します。彼は、教授選を勝ち抜くためには、表の票集めだけでなく、こうした裏からの支援固めがいかに大切かを熟知していたのです。
一方で、妻の杏子もまた、単に夫の駒であるだけではありませんでした。彼女自身も「大学教授夫人」というステータスに強い憧れと執着を持っており、夫の出世は自らの望みを叶えることと同義でした。そのため、彼女は自らの意思でくれない会の権力闘争に積極的に参加し、夫を支え、自らの地位を確立しようとします。このように、財前五郎とくれない会の関係は、財前の野心と杏子の願望が一致した、いわば利害共同体としての側面が強く、互いに利用し合うことでその結びつきを強固なものにしていきました。
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教授選を巡る東教授陣営との対立構造
物語前半のクライマックスである第一外科の教授選挙は、くれない会における対立構造を最も鮮明に描き出します。財前五郎を次期教授に推す勢力と、それを阻止しようとする現教授・東貞蔵の陣営との対立は、そのまま妻たちの世界であるくれない会にも持ち込まれました。
選挙が近づくにつれて、東教授の妻である政子は、夫の権威を守り、自らの影響力を保持するために、財前派と見なされる夫人たちに対してあからさまな敵意を示します。特に、財前の妻である杏子に対しては、新参者であることも手伝って冷たく当たり、会の中で孤立させようと画策します。これは、夫たちの代理戦争が、くれない会という舞台で繰り広げられていることを明確に示しています。
しかし、杏子も決して黙ってやられるだけではありません。彼女は東政子からの嫌がらせにも臆することなく、したたかに立ち回り、逆に鵜飼医学部長夫人など、より上位の権力者に取り入ることで自らの立場を強化していきます。この夫人たちの静かなる戦いは、男性たちの票の奪い合いと並行して描かれ、教授選の緊張感を一層高める効果を生み出しました。結果として、財前が教授選に勝利すると、くれない会における力関係も劇的に逆転し、権力の非情さを浮き彫りにします。
くれない会が物語に与える具体的な影響
くれない会は、物語の重要な局面で登場人物の運命を左右する、具体的な影響を及ぼします。その影響は、教授選挙のような組織的な権力闘争から、個人の精神的な葛藤にまで及びます。
最も直接的で非情な影響が見られるのは、物語後半の医療訴訟の場面です。財前が担当した患者の遺族が医療過誤で彼を訴えると、くれない会は財前を守るために組織的に動き出します。彼女たちは、原告側の証人として立つ可能性があった里見脩二の妻・三知代に接触し、「夫が証言台に立てば、大学での将来がなくなる」といった趣旨の発言で心理的な圧力をかけます。これは、親睦団体という表の顔を完全に脱ぎ捨て、権力維持のためには手段を選ばない圧力団体としての暗部を露呈する象徴的なシーンです。
また、主人公の妻・財前杏子の内面にも大きな影響を与えます。杏子は、会を通じて親しくなった里見三知代が夫の裁判によって苦しむ姿に心を痛めます。しかしその一方で、「大学教授」という地位を失うことを恐れ、裁判に負けそうになる夫に「教授だけは辞めないで」と懇願します。この葛藤は、くれない会が植え付けた価値観と、個人としての良心との間で引き裂かれる人間の苦悩を描き出しており、物語に深い奥行きを与えています。
女医たちの立場とくれない会の存在意義
『白い巨塔』が描かれた時代背景を考えると、くれない会の存在は、当時の社会における女性の立場を考える上で非常に示唆に富んでいます。この物語には、自らの意志と能力で道を切り拓こうとする女医も登場しますが、彼女たちの生き方は、くれない会の夫人たちのそれとは対照的です。
くれない会の夫人たちは、その地位や影響力の全てを夫の役職に依存しています。彼女たちの価値は、自分自身の実力ではなく、「誰々の妻」であるかによって決まります。これは、女性が男性の付属品として見なされがちだった、旧来の家父長制的な価値観を色濃く反映していると言えるでしょう。
一方で、自分の腕一本で生きていこうとする女医は、そうした古い価値観からの脱却を目指す新しい女性像を象徴しています。しかし、物語の中で彼女たちが直面する困難は、男性中心の医局社会で自立して生きていくことの難しさをも示唆しています。
こうした対比構造の中で、くれない会の存在意義が浮かび上がってきます。この会は、夫の権威を傘に着て生きるという、一つの女性の生き方を象徴する装置です。そして、その生き方と、自らの力でキャリアを築こうとする女医の生き方を対比させることで、『白い巨塔』は単なる権力闘争の物語に留まらず、時代の中で揺れ動く女性の多様な生き方をも描き出す、重層的な作品となっているのです。
2003年版と他版でのくれない会の描写比較

『白い巨塔』は何度も映像化されていますが、くれない会の描かれ方は、制作された年代や作品の構成によって大きく異なります。特に代表的な1978年版、2003年版、2019年版のテレビドラマを比較すると、その違いは明らかです。
1978年の田宮二郎主演版は、全31話という長編シリーズでした。そのため、物語がじっくりと描かれ、くれない会もまた、昭和のドラマらしい重厚な雰囲気の中で、陰湿で執拗な権力闘争の場としてリアルに描写されました。
対照的に、2003年の唐沢寿明主演版では、くれない会の存在感が際立っています。スタイリッシュな演出の中で、夫人たちの情報戦や裏工作が、時にコミカルかつドラマチックに描かれ、物語を盛り上げる重要なエンターテイメント要素として機能しました。東夫人を演じた高畑淳子さんの怪演も相まって、この作品のくれない会は多くの視聴者に強い印象を残したと考えられます。
そして、2019年の岡田准一主演版は5夜連続という短い放送時間でした。この作品では、インフォームドコンセントなど現代的な医療倫理に焦点が当てられたこともあり、旧来の権力闘争の象徴であるくれない会の描写は相対的に簡略化されました。
比較項目 | 1978年版(田宮二郎主演) | 2003年版(唐沢寿明主演) | 2019年版(岡田准一主演) |
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描かれ方の特徴 | 重厚で陰湿な権力闘争をリアルに描写 | スタイリッシュで劇的。エンターテイメント性が高く存在感が際立つ | 現代的なテーマが優先され、描写は相対的に希薄・簡略化 |
物語上の役割 | 閉鎖社会の闇を象徴する存在として物語に重みを与える | 物語を盛り上げる重要な要素としてドラマチックに演出される | 財前と里見の人間ドラマに焦点が移り、役割は縮小傾向 |
このように、くれない会の描かれ方の変遷は、それぞれの時代がドラマに求めるテーマ性や演出方法の違いを反映しており、作品を比較する上で非常に興味深いポイントとなっています。
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総括:『白い巨塔』におけるくれない会の重要性
この記事で解説してきた『白い巨塔』におけるくれない会の重要性について、最後に要点をまとめます。
- くれない会は浪速大学医学部の教授夫人たちで構成される架空の団体
- その実態は夫の地位向上を目的とした政治的な組織
- 表向きの活動は会員同士の親睦やチャリティ
- 真の目的は情報交換や派閥形成による夫のキャリア支援
- 大学病院の閉鎖的な権力構造を水面下で支える役割
- 医学部長夫人を頂点とする厳格なヒエラルキーが存在
- 夫の役職がそのまま妻の序列に直結する
- 医局内で行われる権力闘争の「縮図」といえる存在
- 登場人物の運命や心理に大きな影響を与えた
- 特に2003年版のドラマではその存在感が際立って描かれた
- 映像化作品ごとに時代の価値観を反映して描かれ方が変化
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